菜穂子さんが通った鉄橋 ~旧立場川橋梁~

菜穂子さんが通った鉄橋 ~旧立場川橋梁~ 

 

宮崎駿監督のアニメ映画「風立ちぬ」をご覧になったでしょうか。

1920年~1930年代が描かれたこの映画。終盤、結核にかかったヒロイン菜穂子さんは「私、治りたいの。二郎さんと一緒に生きたいの」と、一人、富士見にある高原病院に入院します。高原病院の場面の直前に出てくるのが、立場川鉄橋とその上を走る蒸気機関車。

そして、もう一場面。菜穂子さんは、主人公二郎からの手紙を読んでどうしても会いたくなり、病院を抜け出します。その直前に、雪の降りしきる鉄橋が映ります。

細部を大切にする宮崎監督とはいえ、筋の展開に直接関係のない鉄橋を2場面も描くとは。実はこの立場川鉄橋、今も実在するのです。さすがに100年以上前に造られた鉄橋は現在使われていないのですが、新しい鉄橋の隣に、不思議な存在感で残っています。「旧立場川橋梁」と呼ばれるこの鉄橋を、宮崎監督は実際にご覧になり、大変な興味をもたれたのではないでしょうか。

 

 

「旧立場川橋梁」の工事は1902年(明治35年)に始まります。富士見町誌には「天候不良のため、いちじるしく工程の進捗を阻害され、降雪の時期は工事を中止し、甲六沢、鹿野沢、立場川の橋梁工事は、雪がやや溶けはじめたときに再開したが、朝夕の凍結がはなはだしく困難を極めた。」「瀬沢新田の鉄橋には、立場川川岸の石も使われ、瀬沢新田区の古い記録にあった『大石

また、「工事のために多くの労務者が村に入って来て、争いごとが増えたため、瀬沢新田区に巡査派出所が設置され、取り締まりに当たった」と区の書類に記されているそうです。

1904年(明治37年)、富士見停車場が開業し、中央線は富士見まで達しました。それから76年の間、立場川橋梁は使われます。

そして、1980年(昭和55年)、信濃境ー富士見間の複線化による線路の付け替えのため、立場川橋梁は役目を終えます。
 

 

 

ありがたいことに旧立場川橋梁は解体されることはありませんでした。廃橋から38年経った今も、114年前と同じ場所に存在し続けています。

現在、新しい鉄橋と古い鉄橋はすぐ近くに並んで立っています。新旧2つの鉄橋のすぐ近くを富士見町の2つの駅を結ぶ県道が走り、生活道路が旧鉄橋をくぐって集落同士を繋ぎます。明治時代と現在が混在する何だか不思議なスポットです。
 

旧立場川橋梁

並んで立つ新旧橋梁。

 

ここは電車ファンや鉄橋ファンにとって絶好の撮影場所だとか。休日には多くの鉄道好きがやって来て、カメラの三脚が並びます。
 

旧立場川橋梁

旧立場川橋梁

旧立場川橋梁

旧立場川橋梁

遠目には、赤錆に被われ独特の風情がある旧立場川橋梁ですが、「単線上路プラットトラス」(ボルチモアトラス)という強度を保つ工法で造られているのだそうです。直下から見上げると迫力に圧倒されます。

 

 

旧立場川橋梁と時期を同じくして造られた鉄道遺構が、富士見町には幾つも残っていることをご存知でしょうか。複線化のため立場川橋梁と同じ運命に会った遺構です。

旧立場川橋梁を背に、今は無き線路を山梨方面に辿ります。

すぐ近くにあるのが2つのトンネル。

旧立場川橋梁

旧立場川橋梁
 

この2つのトンネルは入り口をコンクリートでふさがれています。でも、入り口部分の煉瓦は当時のまま。建設時、この煉瓦を焼くための大規模な窯が、原の茶屋という集落近くに造られました。現在も「煉瓦場」という地名が残っているそうです。

 

旧立場川橋梁
〈こんな標識も〉

 

旧立場川橋梁
これは線路の跡。10メートル程続きます。

 

旧立場川橋梁

旧立場川橋梁

旧立場川橋梁
これは3つ目のトンネル。入り口に縄が張ってありますが、1つ目、2つ目のようにコンクリートでふさがれてはいません。側面から天井まで張られた苔むした煉瓦が歳月を感じさせます。47という標識も見えます。

 

旧立場川橋梁

3つ目のトンネルの先にあるのが鹿野沢橋梁。これは現在も使われている鉄橋です。この橋梁の下を流れる鹿野沢川で、近くの小学校のPTAのお父さんお母さんが、毎年子どもたちのために、鱒の手づかみ大会を開いているそうです。子どもたちの歓声がトンネルの中に響いてさぞ盛り上がることでしょう。

 

 

旧立場川橋梁とその仲間たち。ずっと存在し続けてほしい富士見町にある宝です。

    
*旧立場川橋梁の立ち入りは禁止されています。古い施設です。見学の際は充分注意してください。他の遺構も同様です。

 

参考資料
「富士見町史 下巻」
「明治時代に製作されたトラス橋の歴史と現状(第5報)」

 

(Written by 村上不二子)

 

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