文化・景観

乙事堰(セギ)~水の旅をたどる~

乙事堰(セギ)~水の旅をたどる~

先日、公民館主催の「歩いて学ぼう! 堰(セギ)探検隊」に参加しました。

冨士見町では小学校で学ぶそうなのですが、江戸時代に八ヶ岳山麓の用水開発に尽力した坂本養川が作った堰(セギ)を学ぶイベントです。
今回は乙事堰(セギ)の取り入れ口からため池までを歩きました。

乙事堰(セギ)~水の旅をたどる~

集合場所の公民館駐車場から立場キャンプ場まで車で移動。その後歩いて立場川の取り入れ口まで行きました。

立場川からの取り入れ口は、川に石を配置して流れを調整するもので、個人的にかなり感動しました。

乙事堰(セギ)~水の旅をたどる~

乙事堰(セギ)~水の旅をたどる~

地元乙事区の三井芳章さんの説明によると、年に一度5月中旬に立沢区と乙事区から関係委員会からの代表者立ち合いの元、石を確認して水の量を調整します。
この場では、双方が半々になるようにしているそうです。

乙事堰(セギ)は全長が6km強。坂本養川による諏訪藩への働きかけによって、藩の事業として進められました。寛政4年(1792年)乙事堰(セギ)が完成しますが、この時の取り決めが現在まで受け継がれています。歴史を感じます。

 

養川堰のマップ作りをなさったNPO法人地域学習支援センターの関雅一さんが、地図を広げて養川が各地に水を公平に行き渡せるためにどのように考えたのか、わかりやすく説明してくださいました。

乙事堰(セギ)~水の旅をたどる~

乙事堰(セギ)~水の旅をたどる~

関さんによると、養川は諏訪の山浦地方(八ヶ岳西麓の茅野市、原村、富士見町辺り)全体を見わたし、公平に水を配分する方法を何年かかけて考えたと言います。地図上で見ると理にかなった考え方だと思いますが、現在のように測量技術も交通機関も発達していない状況で大変な苦労だったと思います。

 

乙事堰(セギ)~水の旅をたどる~

立場川から取り入れられた水は林の中を抜け、旅を続けます。

 

乙事堰(セギ)~水の旅をたどる~

立場川キャンプ場

 

乙事堰(セギ)~水の旅をたどる~

鉢巻道路を超える水路橋

 

稗の底・東出口です。

乙事堰(セギ)~水の旅をたどる~

乙事堰(セギ)~水の旅をたどる~

湧水が下の集落にうまく配分されていました。
同じ深さ・幅で、乙事と小六に公平に水が流れるように工夫されています。
小六側の流れは、その先で机集落へも分かれるそうです。

 

乙事堰(セギ)~水の旅をたどる~

稗の底から乙事堰(セギ)へ

乙事堰(セギ)~水の旅をたどる~

乙事堰と小六堰の交差する箇所です。

ここでは水が混ざらないように立体交差にしてありました。これは形態として、とても珍しいものだそうです。自分の水を絶対に他の地域には渡さないという、強い意志を感じます。
それほど、水は大切だったんですよね。

今回は養川の手掛けた乙事堰(セギ)に沿って歩きました。
でもこれ以外にも以前から利用されている水の流れもあり、それぞれの場所で関係区が細かい取り決めがなされているようです。
乙事セギと小六セギの建設には背景に諏訪藩の二の丸・三の丸事件も関係しているという話もあり、水を得るために当時の人々がどれほどの苦労をしたのかしのばれます。

乙事堰(セギ)~水の旅をたどる~

乙事堰(セギ)~水の旅をたどる~

この日の乙事堰の旅は、乙事のため池で終わりました。ここから集落の田畑に流れていきます。

養川は8年間に6回も諏訪藩に意見書を提出しているそうです。
坂本養川が下流地区まで公平に水を行き渡らせたいという想いが、230年たった現在でも生きているんですね。

後日、前記の乙事の三井さんに話を伺いに行き、お作りになった乙事水運の歴史を拝見しました。徳川幕府の時代から問題が起きては話し合い、解決をしてきた歴史が綴られていました。それこそ農民にとって、水をめぐる戦いは死活問題。当時の人々の熱量の大きさを感じました。

私はいわゆる都市部から富士見町の農村部に越してきました。どこを車で走っても水が流れているのを見て「なんて水が豊かなところなんだろう」と思っていました。

余談ですが、友人の家に行った時に、草の陰に隠れていたセギに気が付かずに道路の端に車を寄せて、車輪を前後とも落としたこともあります。
それくらい、水が近くを流れていることが当たり前のことです。

しかし、水源を調べている過程で、特に八ヶ岳側は水が少なく、昔から水を廻る争いもあったと知りました。近年、といっても40年ほど前の話になりますが、町内で水利権を廻って裁判にもなっています。
その裁判の判決文の中にこのような一文があります。

水利権の法則、
「・・・個々の水利用者は互いに独立、対等の立場に立つものであり、右集団の意思決定は構成員全員一致によるものが原則であり、右集団の存在理由及び人の生活維持に不可欠であるという水の本質上、多数決を持って少数者から水利用を奪うことは許されない。」

昔のようにほとんどが農業従事者だった時代とは違い、住民の水に対する思いにも大きな差が生じてきました。
土手の草刈り、道の砂利引き、そして水路の管理・・・農村部にくらして気づいたことがたくさんあります。先人たちの苦労の上に今の私たちの暮らしがあることを想い、私たちはどんな未来を後世に残していけるのかを意識して暮らしていきたいと思います。

(Written by エンジェル千代子)

ルバーブ生産組合や井戸尻応援団をはじめ、様々な団体で富士見町の活性化のために活動中