元気人

鈴木康晴さん (バディアス農園)

人生の転機

48歳の時、私の人生にとって大きな転換期が訪れました。それまで30年間勤めたハイテク分野の半導体設計ソフトの開発・販売というサラリーマンにピリオドを打ったのです。

私は「この業界でこのまま定年まで勤め、定年後何をするか?」と、40歳位からずっと考え続けていました。そしていつしか「定年の無い仕事をやってみたい」と考えるようになっていました。では「定年の無い仕事」とは何か?職人、自営業、農業などなど、色々な可能性を考えました。

私は宮城県の農家に生まれ、農業が嫌で上京し、サラリーマンを選択したのですが、気づいてみると40歳頃より、土に馴染む生活に憧れを抱いていました。この確かな思いが、農業にチャレンジする後ろ盾になりました。そこで、農業をやるからには体力のある若いうちに転職が必要だと思い、48歳で新たな人生に踏み出す決意をしました。2003年のことでした。

農業を学び、新規就農への第一歩を踏み出す。

この2003年はたまたま下の子供が学校を卒業する年で、タイミングとしても良かったのでした。

農業については全くの素人でしたので、まずは農業を教えて貰える学校を探しました。当時、新規就農を推進する目的で「アグリ大学」が各県に開設されていることが分かりました。温暖で農業に適した場所を中心に探したところ、静岡県磐田市の農林大学「花と緑のアグリ大学」を見つけ、入校することにしました。

この選択が私の農業に大きな経験をもたらすことになったのです。大学での勉強の他、磐田農業高校での臨時職員に採用され、1年半の農場での畑仕事が、農業のノウハウ習得や農業をやる体力づくりに大きな効果をもたらしたのでした。ここで学んだことは、今の農業にも大変役立っています。

富士見町との出会い

農業仲間と。右が鈴木さん
農業仲間と。右が鈴木さん

3年後の新規就農に向け、耕作地を探していた時、知人の紹介で富士見町を初めて訪れる機会に恵まれました。それまで、長野県でも富士山が見えることすら知りませんでした。しかも日本の第1~3位までの高峰が同時に見えるここ富士見町は、日本の中でも稀な町だと思いました。このような恵まれた環境下で、第二の人生である農業が出来たら…と思い、静岡県から移り住みました。

 

"食用ほおずき" の栽培をスタート

食用ほおずきを栽培するバディアス農園
食用ほおずきを栽培するバディアス農園

(いまだ単身赴任ですが)富士見町に移り住んで3年半になります。今は、移り住んだ当初に偶然知った食用ほおずきを主流に栽培しています。この食用ほおずきは新食材として食品業界から注目されており、富士見町の特産にしようと日々頑張っています。

また、生産から加工・販売までを行う、新しい農業スタイルの確立を目指し、観光農園化や加工業者とタイアップした新商品の開発、さらに地元及び都心での販路拡大等を行っています。

私は、北アルプス、中央アルプス、南アルプスのすばらしい眺望、八ヶ岳山麓の四季、水と空と星がきれいな富士見町が大好きです。この素晴らしい環境の富士見町で、ぜひ“食用ほおずき”での新規就農をやってみませんか。


経歴:
- 東京にて30年間半導体の設計ソフトの開発・販売
- 静岡にて農業の勉強を3年間
- 2006年に富士見町にて就農、現在に至る。55歳。
バディアス農園
東京より富士見町に移住し、食用ほおずきの栽培・加工・販売をスタート。 個人や菓子店に食用ほおずきを提供するほか、収穫体験などを通した 地元内外との農業交流も行っています。

長野県諏訪郡富士見町乙事5403-1
TEL: 090-7272-1782 (鈴木)